「一真を生むために、お母さんは生まれてきたんよ。」
いつの日か幼いころ聞いた、母のことば。
自分から生まれてきたいのちに、かつて自らがあげたであろう産声の意味を知る。。
まさしく後付けですけど、そもそも「意味」とは後付けるものなのでしょう。
なぜなら、それははじめから在るものではなく「見出すもの」だから。
では、自分は何のために生まれてきたのか。。
前後不覚で生まれ落ちている自分だけれど、この身に意味を与えてくださることばがある。
お釈迦さまのことばが、2500年のときをこえて、自分があげた産声に意味を与えてくださるこの不思議。。
あさましき身を恥じつゝもよき親を
もてるほこりにいさむわれかな(暁烏敏)
今月はお釈迦さまの誕生月。
そしてもうすぐ母の日ですね。